20181102
友人からクリスマスプレゼントの相談を受けた。
彼女にあげるクリスマスプレゼント、何がいいと思う?的なやつ。
彼女さんのことを知らない僕らに聞くより、本人に直接聞いてみたらいいのでは?と。
一般的に良しとされるものが、貰い手にとって必ずしも喜ばしいものである保証はない。
サプライズ感を出したいなら、相手の趣味嗜好を考慮して自分で決めたらいいのでは?と。
彼の場合、全くもって彼女自慢をする意図は持ち合わせていない。
純粋に悩むが故に、彼はこの手の助言に対し苛立ちを感じていた。
少なくとも僕にはそう捉えられた。
とかいうどうでもいい話を書く場所だっけ、ここ。
自分だったら何をあげるかな?
ふと、そう思った所で思考は停止。
クリスマスプレゼント、か
20181030
昨晩、と言っても日付は越えていたので今日の話なんだけど、明らかに自分の行動が常軌を逸していた。
何が悲しくて夜中2時頃に2人分のショートケーキを食べていたんだろう。
無表情でひたすらケーキを食べる自分。
ケーキを好きだったのは昔の話。
今はもう、見るのもしんどいんだ
20181023
眠いのに眠れずこの時間なので何となく更新。
好きなことを好き、楽しいことを楽しいと素直に言うことのできる環境って大切だよね。
やりたい事は出来る時にやった方がいいと思うし、出来るかどうかのタイミングもある訳だから可能な限り制約は少ない方がいいと思う。
そう考えた時、僕という人間は経済学で言うところの"人間"ではないという結論が導かれる。
矛盾と葛藤ばかりなんだもの。
sensibleでrationalな人間ではないという事です、はい。
大学院の狭い人間関係の中で、関わる人の幅(年齢)は広くても関わる人の層(背景など)は狭くなるし、2年制だから尚更って部分が大きいので狭く浅くになり易い。
元から交友関係を広く持つ方ではない人間だから、大学ESS時代は渉外として様々な大学ESSと絡ませてもらって本当にいい勉強になったと思っている。
執行時代も、もう少し仕事の意識を持ってやれれば違ったのかな。
僕は圧倒的裏方派なので事務的処理はそれなりにこなしたような気もするけど、それだけじゃなくもう少し先輩活動が出来れば良かったのかなぁと。
この期に及んで何を言っているのやら。
もう朝だ。
眠気が強くなってきたから、一旦寝るか。
20181021
「え、顔でしょ」
5年半以上会っていなかった友人と会った。
久しく会って、軽く飲んで今は帰り。
社会人3年目だもんな、順当に行っていれば。
まぁ僕はまだ学生ですけど。
大卒後3年も経つと、色々な人生がある。
5年半振りに会ったのに互いにすぐに気が付いたし、友達とはそういうものなのかもしれない。
というか、見た目にそんなに大きな変化が互いになかったのかもしれない。
特に何を話したかなんて覚えてないレベルだけど、久しく会える友人が居るのはありがたいことだなと思った。
明日からまた学校だ。
20181015
朝から脳が騒がしいのでもう少し。
友人から教わった日にち薬の概念。
時間の経過により気持ちが薄らいだり、日常の中で視点が移ったりすることで一定の解決が見込まれるようなものだったと思う。
過去は過去として、今を充実させたらいいじゃん。
という意見はわかる。
代わり映えのない毎日とか言ってないで、行動習慣に変化をつけろよ。
わかる、理論上は。
感情の行き場として筋トレやランニングに時間を割いたり、研究に力を入れたり、付き合いを持つ友人の幅を広げるとか、あれしたりこれしたり、結構しんどい。
これをすることによって何のメリットがあるんだろうなんて疑問に思うことさえある。
それでもその感情の行き場として、暫くはこれらの行動と共に生きるんだろうな。
正直他人と関わりたくないし、元来他者に無関心なのが尚更激化してる感じは否めないから。
そうは言っても冷静に考えてみれば、
失くしたことで空いた心の穴を
何かで埋めようとしても
埋めることなどできないんだわ
埋まる訳ないんだわ
埋まらないよ、だから虚無なんでしょう
埋める必要があるのかもよく分からない
その必要ないよね
大切なものなら尚更、綺麗なまま残しておきたいもの
人間は理性と感性を併せ持っているけれど、
最終的には心の判断で生きている動物なのですね