Aide-Memoire

主に僕の日常。

2018100402

本当の自分とは一体何者なんだろうか。

年齢を重ねるにつれて所謂「ハイスペ欲」のようなものが高まっていく。

小学校入学以前の記憶はほぼ無いから、それ以降の自分を分析すれば何か手掛かりが掴めるだろうか。

 

僕はどんな小学生だっただろう。

先日、と言っても8月後半の話になるが、掃除をしていて小学校の卒アルを発見した。

6年間の生活の中で行われる主要なイベントの写真が載せられていたほか、後ろの方に文集が綴られていた。

僕の卒業文集のタイトルは「将来の夢」。

要約すれば、「民事不介入が故に犠牲者が出てしまう現行の警察制度を変えたい」というものだった。

勿論子どもなので、制度を変えるのは官僚の仕事で、警察官になって変えられるようなものではないという現実は知らない。

しかし、人のために国を変えたいといった気概を持った少年であったことに驚きを隠せないし、小学生で民事不介入について文集に記述していた当時の自分は何者なんだろうと思ってしまった。

 

 

結局、官僚なのか。

 

 

自分は一体何者なんだろうという問いから始まった自分探し。

その当時の自分が仮に今の自分を見たら、何を思うだろうか。

当時12歳の僕からその倍以上の年齢を生きた今の自分にかけて、どのような成長が見られたのだろうか。

昔の僕はきっと、立派な人間になりたいとか、地位や名誉を手に入れたいとか、そういうことは全く思っていなかったと思う。

純粋な気持ちで世の中に対する疑問を感じ、その疑問にどうアプローチできるかを考えていたんだろう。

こんな風に書くと、よく出来た子どもに聞こえてしまうのが皮肉ではあるが。

 

子どもは、子どもであるが故に世界が狭い。

僕らの世代と今の子どもたちとでは外的環境が大きく異なるから一概には言えないけど。

 

自分の中の正義に従い、いじめられっ子を助けたが故に次は自分がいじめの対象になってしまった子。

 

周囲より少し勉強ができただけで嫉妬の対象となり友達がいなくなった子。

 

周囲より家庭が貧しかったが故に、周囲からは見えにくい家の苦労を担ってきた子。

 

 

外部環境を子どもが自力で変えることは難しい。

これらの事は、自分のこれまでを構成する"過去"という事象において"経験"などと称されることが多いが、このような原体験を踏まえて今の人格が形成されていると考えれば、レディネスを待つまでもなく成長することが求められる環境がそこにあったと言わねばならない。

 

自分は一体、何者なんだろう。