Aide-Memoire

主に僕の日常。

20181018

微視と巨視の両方を持ち合わせる話。

たまにはこういう話も面白いでしょう。

少しだけ英語学を齧った者が生半可な気持ちと意識で世界観を表現します。

1年間だけ英文科の学生をやっていたので、中退したけど。

 

 

言語学における主要分野として形態論がある。

この世界においては、単語の内部構造に関する規則が主な研究対象になる。

 

形態論に並ぶ主要分野として、単語と単語の繋がりにより構成される"文"の構造に関する規則を研究する統辞論がある。

 

ここからは独自の世界観の顕れなので、仮に読んでも無理に理解しようとしないでほしい。

誰も読まないとか言うな、知ってるわ。

 

構文の一生を考えてみる。

ここで文章と記載しなかったのには、文章を構文の塊として定義したいからである。

構文は、一定の規則に基づいて構成された1つの文と定義づける。

展開を簡素化するために、英文を例に考えてみる。

 

ex.)I dislike you.

もっと他に好例があるだろうと嘆かわしいが、まずはこの単純な文を見て欲しい。

主語が I 、動詞がdislike、目的語がyouの第3文型を採っている。

このように文全体の構造を考察するのが統辞論(の一部)であり、

 

dislikeという言葉は否定の意味を持つdis- という接頭辞が動詞likeに付帯し、like本来の意味を否定するため「~を嫌う、厭う」という意味に変化している

 

と解釈するのが形態論(の一部)である。

正確な理解を促進する意図がない為、専門家からすれば定義不足で不充分な説明をするなと怒られそうだが、まぁ気にしない。

 

本題である独自の世界観に入り浸る。

構文の一生について考察すると、文が人に読まれる時最初に目に入るのは大抵の場合主語である。

ex.)を見ると、目を引くインパクトがあるのは "I" ではなく "dislike" だと答える人が多いとは思うが、そこではない。

文の構造上、順当に読めば最初に目に入るのは "I" である。

これは人の一生における、誕生の部分に似ている。

文は人の目に触れて初めて生を受けることになる。

読み手が読む以前に書き手が書いた瞬間、文は生まれていますよと言うのかも知れない。

しかし、書き手が書いたその瞬間に文は書き手の目によって認識されている。

読まれて生を受けるのではなく、人の目に触れてと記したので誤解はしないで欲しい。

 

そして英文を読む時、人は視線を右に遷す。

 "dislike" が目に入る。

ex.)において "dislike" は動詞であり、文の意味上最も重要な位置を占めると言っても過言ではない。

"dislike" は人の一生における主要イベントに喩えられる。

それ故に最重要事項であり、また人の目を引く。

この主要イベントは、人の一生においては1つとは限らず複数訪れる場合がある。

これは英文において接続詞等を用いて1文に複数の動詞が出てくることに喩えられよう。

 

そして最後に "you" が来る。

文上では目的語であり、見かけの上では文末。

これは人の一生において晩年とでも言おうか。

 

このように考えると、人の一生の全体像をプランニングするなどして考察する手法は、人生の統辞論と仮称できる。

そして、例えば "dislike" のように単語を分解して接頭辞disと動詞likeに分けて考察する手法は、人生の主要イベントそのものの考察となり得るため、恐らく多くの人が経験する(?)であろう進学や就職、結婚や出産などをその1つ1つについてあれこれと考えを巡らすことに類似しており、人生の形態論と仮称できる。

 

 

何が言いたいって、今回はCCFしているので安心ですよ。

人生の統辞論と形態論の考察はバランスよく努めましょうということ。

 

僕はあまりにもバランス感覚に欠けているから、強く自戒の意味を込めて。

 

 

 

2018101702

2ヶ月が経った。

この2ヶ月で色々なことが変わったな

環境の変化、自己の変化、その他にも。

 

僕自身については、これでも少しは落ち着いてきた方ですよ。

 

でも、ダメだ、

文を書こうと思ったけど心が働かない。

 

今日は美容院に行って髪を切って、洋服を買って、ご飯を食べて。

独身OLの休日みたいな過ごし方をした。

いや、それならエステ行ったり岩盤浴行ったりするんかな、知らんけど。

 

記憶がなくなれば

感情がなくなれば

僕は、自分は、

 

恥ずかしいもんだね、こんなことを書いて

 

何も思わなくなる日がいつか来るのかな

記憶には残るものの

思い出しても何も思わなくなる日が

いつか

 

 

 

2018101701

生きる理由を外に求めるからしんどいのでは、という話。

この為に生きている、と堂々と胸張って言える何かがある訳でもないし、丁寧に考えてみれば生きる理由なんてないのではという説が自分の中で最有力。

理由がないのであれば、ない物をどこかに求めるからしんどくなるのは必然。

悲観する訳ではなく純粋な事実として、自分の生死が社会に対して与える影響はほぼない。

重役でもなければ著名でもない。

せいぜい親が、役所に届け出たり所属機関(内定先、や学校など)に連絡して手続きを取るぐらい。

 

きっとそれが現実。

 

 

 

2018101503

1日で3度も更新する日が来るとは思わなかった、暇かよ。

金曜日に授業に出た際、研究室にノートPCを置いて帰ったので数日ぶりのPCですよ。

スマホで文字を書くより余程速くて楽だな、ほんと。

 

抱えている問題が何点かあって、それらを順に整理していきたいなぁと思っている所存。

シンクタンクの上席研究員いわく、リスク対応には「緊急度」と「頻度」の評価軸を指標とすることが多いらしい。

例えば損害保険などは、その保険が適用される事案(事故等)の発生頻度とその事案の緊急度がプランニングの指標となる。

ここでのプランニングとは顧客への提案ではなく、保険制度そのものの設計段階におけるプランニングを指す。

この手法を応用して、ここが抱える課題については緊急度と重要性の2軸で優先順位を付けていきたい。

無論、両軸が全く異なる評価指標なのかという疑念には別で定義づけをすることによって棲み分けを行うものとする。

 

やりたいこともやらなきゃいけないこともたくさんある。

前者は、自分の価値を向上するためのもの。

向上したところで誰が得をするのかは分からないし、恐らくこれは自己満足で終わるんだろうと思う。

自分の価値を向上する取組みに従事する必要があるのかも分からない。

「付加価値を高めるためにできること」を探す段階で人生だいぶ迷子だけど。

後者は、まぁ何とか頑張らないとなぁということ。

意欲の有無にかかわらず。

 

10月ももう半ばだよ。

なんで生きているんだろうな、ほんと