20180918
昨日書きたかったことの積み残し。
彼女と別れてひと月が経った。
1ヶ月の間に色んな感情が現れて少し疲れてしまったのかもしれない。
進路選択に関する挫折、恋人との関係性の変化、家庭環境の悪化、一部の友人関係の断絶。
本当にこの1ヶ月で多くの変化があった。
ある意味でこれが人生の底だといいなぁと感じた。
ここから上がっていくばかりなら、どれほどありがたいことだろうか。
現実がそんなに甘くないことはよく知っているけど。
今の自分の感情はなんだろう。
分析しきれない。
きっと出来るものでもないんだろう。
この気持ちも、これまでに抱いてきた様々な気持ちも、大切にしていきたいな。
20180909
今日もちゃんと学校行ったよ。
全部で123の団体の計画を検索かけてキーワードが引っ掛かったらピックアップする作業。
昨日今日で何団体やったか分からないけど、前回この作業やってたのって7月とかで、しかもこの作業を始めた当初はあの子とうちの院のPC室で作業してたな、なんて。
振り返っては懐かしい気持ちになった。
5月の終わり頃で、宿泊明けの睡蓮でつけ麺食べた時だ、なんて。
睡蓮のつけ麺美味しかったなぁ…起きて一食目だったから全然食べられなかったけど。
つけ麺といえば、参宮橋の空海好きだったな。
機会があれば行ってみたいけど、機会はなさそうだな。
話を研究に戻すと、そこからLRTを交通計画(網形成計画等)に記載している自治体を抽出して、さらにその計画の分析。
公共政策の院生なんて独自の切り口のコンサルタントみたいなものだよね。
シンクタンクに怒られそうだけど。
日曜の夜22:30頃のPC室は、まぁ勿論僕以外誰もいなくて、しかも6階で孤立した空間。
俗世から切り離された、隠居の身とでも言おうか。
それはそれで、なんだか却って心地よい。
帰宅して軽くご飯食べて、今日も走った。
明日から集中講義だ、きついなぁ…
修論のレポート(文章化)にこれからやっと着手しようかというところなのに。
集中講義とか、人と顔を合わせたい心持ちではないがなぁ…
よさげなバーを探して行きつけにしたいとは思うものの、バーに行く時間をうまく捻出できていないし何なら夜はランニングしてるからつくづく酒と相性が悪い。
人生なかなかうまくいかないものだね。
さっき久し振りに中高の友人H氏から「今年高校の文化祭行くの?」ってLINEが来た。
H氏は2年前ぐらいに僕が文化祭に誘って(というか誰か誘わないとしょうた君とサシだった)、そしたらそこで偶然再会した同期のK君となんか知らんけど意気投合して今は同棲していたりする。
不思議な縁だな、というか僕に感謝して欲しい。
ほんとに。
そのH氏はあの子の先輩だったりする、大学の。
これもまた不思議な縁ではある。
あなたもその認識でいたのね…笑
なんというか、そう思ってもらえていたことにありがたみすら感じてしまった。
誘われたもののH氏とは文化祭では会わなそうだな。
それはそれで構わんとも思う。
元気そうだし。
何を書きたかったんだっけ、忘れた。
帰ったら風呂入って、早く寝ないとだな。
20180908
今日は学校で真面目に研究した。
というのは間違いではないが、同期の I 君が研究室にいたので色々と話した。
彼と会うのも、1ヶ月振りとかだったな。
ちなみに僕の同期に I 君はパッと思いつくだけで4人いるから、そのうち区別をつける為に書き分けるかな。
I 君も夏に色々あってメンタルをやられていたらしい。
皆色々あるよな…
I 君は体重が軽すぎるのでとりあえず肥えて欲しいと真面目に願ってしまった。
不安になるほど軽い、女子か。
木曜に研究の進捗等を報告するレポートの締切が迫っているので、互いに割と切羽詰まっている。
何だかんだ彼とは結構気が合うから、色々な話ができてありがたい。
彼が先に帰ってからの数時間で作業が一気に進んだ。
最近色々なことに無心になって取り組んでいる自分がいて時々怖くなる。
明日も研究に没頭せねば。
院までの定期券、期限切れてたなぁ…
20180907
思考がどうしても負に陥ってしまうことが多々ある。
というか、基本そうなのかも知れない。
かの有名な文豪某氏は、その人生の中で4度程自殺未遂を行った。
勿論その4回は未遂に終わったものの、道連れの相手は毎度のように亡くなっている。
僕は道連れなどは欲しくない。
死ぬ時は1人で悟られないように消えたい。
死ぬとか自殺とか、そういうことを文章化しているうちは本体は死なないような気がする。
文字が本体の身代わりになっているような感覚があるからだ。
思考が負に陥った時は、精一杯の負のエネルギーを奮い立たせて夜の街に出ている。
街と言っても幸か不幸か、僕は夜の遊びを知る訳でもないので只管街を走っている。
それはもう、どんなに醜い姿になろうがなりふり構わず走る。
メンタルがどん底にまで堕ちるような曲を流しながら只管走る。
悲しさや悔しさ、後悔などの強い感情と共に走る習慣が戻ってきただけだ。
悔しさから我が身を案じず走るというある種の自傷によって、一時的に目の前の感情から気を逸らす術を身に付けてしまった過去から、何ら逃れられていないことに気付き思考は更に負に陥る。
でも、僕は成長すると決めた。
決意を易々と翻すような人間に進んでなりたいとは思わないだろう。
成長したその先に、自分が目標とする立ち位置が待っていて、そこでその人が待ってくれているかなんて、勿論分かるはずもなければこのような期待はどちらかと言うと空論である。
しかし、僅かであっても可能性があるのなら、可能性が0でないのであれば、それに賭けてみるのも悪くは無いのではないかと思ってしまう自分がいるのも事実。
まぁ正直、その可能性もほぼ0に近いのかもなと思わなくもないけど、。
この時間にこうして外で文章を書いていれば多少なりとも頭も冷える。
今日はここまでにしよう。
明日は研究に向き合わねば。
20180906
今日は1日オフの日だった。
誰と会う訳でもなく、どこかに出掛ける訳でもない。
スーパーに買い物に行く程度の外出はしたけど。
今日も今日とて、様々なことを考える1日だった。
僕にとって躁鬱は身近なものとしてこれまでを過ごしてきた。
僕の母親は躁鬱を抱えていて、スイッチが入るとめちゃくちゃ口撃的になるし(攻撃と書いても間違いではないけど)、比較的そのスイッチが浅い所に埋まっているためすぐにその体制が整ってしまう。
これまで統失とか離人とか、色々な疑いがあったけど結局躁鬱の診断に落ち着いている。
僕はあまりそこら辺のことをよく理解していないのが現状。
実はこのことは大きな問題なんだと感じた。
身近なものなのに、適切に理解をしていないのは宜しくない。
僕の場合、これは親が相手だから「こういう人だしな」という程度に終わらせてきた。
元来癖の強い人だし、そういうもんだ、ぐらいにしか思っていなかった。
僕が先日お別れした彼女も、かつてはうつを抱えていた。
これは本当に偶然なんだけど、うつを抱えた人が書くブログを読んだ。
うつを抱える人に対する接し方のようなものが至極簡易に書かれていて、すごくわかり易かった。
その中の1つに、睡眠に関する記述があった。
簡単に言えば、過眠もしくは不眠になってしまうことがあって、例えば過眠の場合は、眠い時は静かに寝かせてくれというものだった。
性についても、過眠の場合は性より何よりまず睡眠。
寝ると言ったら静かに寝かせてくれというものだった。
圧倒的な、自分の理解不足がそこにあった。
他にも、うつが酷い時は性欲なんて皆無に近いとか、無関心ではなく軽く気にかけた上で放っておいてほしい時がある、なども。
うつなどの病について、一般にはメンタルが弱いからどうのこうのと批判的な物言いをする人がいる。
確かにメンタルが関係している場合もあるんだけど、僕の実体験からうつの診断を受ける人は基本的に生真面目な人が多いように感じる。
メンタルが弱い訳ではなく純粋に責任感や義務感が強かったり、また負けず嫌いの性が強いがために自分のキャパを越えて努力し続けたりしてしまうことが要因の1つとして挙げられると思っている。
これらはあくまで僕の主観だけど。
自分の心臓の動きを自分で制御できないのと同じで。
自分の睡眠だって自分で制御できるものではない。
考えてみれば至ってシンプルなことで、そりゃそうだよなって理解できることなのに、気がつくまでにものすごく時間がかかってしまったし、様々な思いを秘めさせてしまっていた。
そのブログを読んだ時に僕は悲しい気持ちになったし、同時に申し訳なさを感じた。
病気の有無にかかわらず、自分だって究極に疲れている時はそっと寝かせてほしいだろうし、よほど落ち込んだ時は慰めてもらうのも嬉しいけど、色々と整理させるために1人になりたいこともあるだろう。
相手を大事にするってどういう事だろう、という問いへの答えの1つは、相手にちゃんと向き合って理解することであり、そのためのコミュニケーションがいかに大切なものかが身に染みてまた泣きそうになった。
コミュニケーションの不足が、それ以上の関係に進む際の足枷となってしまうことをこれほど実感する日はないと思うし、もうこんな日には来て欲しくない。
母親の病気についても、適切に知るべきだなと感じた。
今日もまた支離滅裂な、脈絡のない文になってしまったな。
20180904
友人に会った。久しく会う友人だった。
正直誰とも会いたくないメンタルが続いていて、その中でわざわざ人と会う予定なんか作りたくなかったんだけど。
酒を飲んだ。
不思議と何を飲んでも酔わなかった。
こんな日もあるんだなと驚いた。
それに酒はなるべく控えようと思っていたのに、また酒を飲んでしまったと罪の意識が生まれた。
大切な人と別れた話をした。
魅力的な自分になってまた隣に立ちたいと言った。
彼には、人類の半分は女性だと言われた。
僕が愛しているのは彼女一人だと言った。
吹っ切って次に行けばいいと言われた。
次に行くつもりは無いと答えた。
いつまでその気持ちを抱えるつもりだと言われた。
僕は言葉で殴られた気がした。
誰が何を言っても自分が愛しているのはあの子。
心から幸せを願っているのはあの子。
その気持ちを踏み躙られた気がした。
確かに、友人はきっと僕のことを思って言ってくれているに違いない。
しかし僕はそうは受け取れなかった。
少なくともその瞬間には、殴ってやろうかと本気で思った。
人と会って話す度に、確かに整理されていく部分は多くある。
そうは言っても僕は自分の気持ちがより強くなるのを感じていたりもする。
自分は、あの子に一緒に幸せになりたいと思う人ができた時に、祝福できるだろうか。
昨日は、少なくとも昨日は
酒に酔いたかったな。