Aide-Memoire

主に僕の日常。

20180906

今日は1日オフの日だった。

誰と会う訳でもなく、どこかに出掛ける訳でもない。

スーパーに買い物に行く程度の外出はしたけど。

今日も今日とて、様々なことを考える1日だった。

 

僕にとって躁鬱は身近なものとしてこれまでを過ごしてきた。

僕の母親は躁鬱を抱えていて、スイッチが入るとめちゃくちゃ口撃的になるし(攻撃と書いても間違いではないけど)、比較的そのスイッチが浅い所に埋まっているためすぐにその体制が整ってしまう。

これまで統失とか離人とか、色々な疑いがあったけど結局躁鬱の診断に落ち着いている。

僕はあまりそこら辺のことをよく理解していないのが現状。

実はこのことは大きな問題なんだと感じた。

身近なものなのに、適切に理解をしていないのは宜しくない。

 

僕の場合、これは親が相手だから「こういう人だしな」という程度に終わらせてきた。

元来癖の強い人だし、そういうもんだ、ぐらいにしか思っていなかった。

 

僕が先日お別れした彼女も、かつてはうつを抱えていた。

 

これは本当に偶然なんだけど、うつを抱えた人が書くブログを読んだ。

うつを抱える人に対する接し方のようなものが至極簡易に書かれていて、すごくわかり易かった。

その中の1つに、睡眠に関する記述があった。

 

簡単に言えば、過眠もしくは不眠になってしまうことがあって、例えば過眠の場合は、眠い時は静かに寝かせてくれというものだった。

性についても、過眠の場合は性より何よりまず睡眠。

寝ると言ったら静かに寝かせてくれというものだった。

 

圧倒的な、自分の理解不足がそこにあった。

 

他にも、うつが酷い時は性欲なんて皆無に近いとか、無関心ではなく軽く気にかけた上で放っておいてほしい時がある、なども。

 

うつなどの病について、一般にはメンタルが弱いからどうのこうのと批判的な物言いをする人がいる。

確かにメンタルが関係している場合もあるんだけど、僕の実体験からうつの診断を受ける人は基本的に生真面目な人が多いように感じる。

メンタルが弱い訳ではなく純粋に責任感や義務感が強かったり、また負けず嫌いの性が強いがために自分のキャパを越えて努力し続けたりしてしまうことが要因の1つとして挙げられると思っている。

これらはあくまで僕の主観だけど。

 

自分の心臓の動きを自分で制御できないのと同じで。

自分の睡眠だって自分で制御できるものではない。

考えてみれば至ってシンプルなことで、そりゃそうだよなって理解できることなのに、気がつくまでにものすごく時間がかかってしまったし、様々な思いを秘めさせてしまっていた。

 

そのブログを読んだ時に僕は悲しい気持ちになったし、同時に申し訳なさを感じた。

 

病気の有無にかかわらず、自分だって究極に疲れている時はそっと寝かせてほしいだろうし、よほど落ち込んだ時は慰めてもらうのも嬉しいけど、色々と整理させるために1人になりたいこともあるだろう。

 

相手を大事にするってどういう事だろう、という問いへの答えの1つは、相手にちゃんと向き合って理解することであり、そのためのコミュニケーションがいかに大切なものかが身に染みてまた泣きそうになった。

コミュニケーションの不足が、それ以上の関係に進む際の足枷となってしまうことをこれほど実感する日はないと思うし、もうこんな日には来て欲しくない。

 

母親の病気についても、適切に知るべきだなと感じた。

今日もまた支離滅裂な、脈絡のない文になってしまったな。